大井競馬場はなぜアメリカの名門競馬場と31年間も交流を続けているのか?

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大井競馬場はなぜアメリカの名門競馬場と31年間も交流を続けているのか?

現在、大井競馬場では7月20日から24日まで、アメリカ・カリフォルニア州のサンタアニタパーク競馬場との友好交流を記念した「サンタアニタウィーク」が開催されています。

アメリカングルメや競馬グッズの販売、ケンタッキーダービー公式カクテルとして知られる「ミントジュレップ」、さらにはブリーダーズカップクラシックを制したフォーエバーヤングの特別展示など、大井競馬場がアメリカムードに染まる5日間です。

しかし、そもそもなぜ東京の大井競馬場と、遠く離れたアメリカのサンタアニタパーク競馬場が、これほど長く深い関係を続けているのでしょうか。

その始まりは今から31年前、1995年まで遡ります。

大井側から「交流してください」と申し入れた

大井競馬場とサンタアニタパーク競馬場は1995年に友好交流提携を締結しました。

興味深いのは、単に双方の競馬場が自然に交流を始めたわけではなかったことです。

提携20周年を迎えた2015年、大井競馬場側の関係者は当時を振り返り、20年前は大井側から交流を申し入れたと語っています。

つまり、大井競馬場が数ある海外の競馬場の中からサンタアニタを選び、自ら接触したことから現在まで続く関係が始まったのです。

実際には正式提携の前年、1994年の時点ですでに大井競馬場へサンタアニタ関係者を招き、「サンタアニタ・アワード競走」が行われていました。

そして1995年8月に正式な友好交流提携を締結。翌9月にはサンタアニタを拠点に活躍していたアレックス・ソリス騎手らを招き、第1回「日米騎手友好競走」も開催されています。

では、なぜサンタアニタだったのでしょうか。

実は「シービスケットで有名な競馬場」

サンタアニタパークは1934年に開場した、アメリカ西海岸を代表する名門競馬場です。

日本の競馬ファンにも分かりやすい名前を挙げるなら、映画にもなったアメリカの伝説的名馬「シービスケット」と非常に縁の深い競馬場です。

1930年代の大恐慌時代、小柄で当初はそれほど期待されていなかったシービスケットは、やがてアメリカ中の人気を集める国民的な競走馬となりました。

そのシービスケットが1940年、故障からの復活を果たして現役最後のレースで制したのが、サンタアニタ競馬場の大競走「サンタアニタハンデキャップ」でした。

ほかにも、アメリカ競馬史を代表する名馬ジョンヘンリーやゼニヤッタなど、多くのスターがこの競馬場を舞台に活躍しています。

「サンタアニタ」という名前だけでは日本のファンには少し遠い存在に感じるかもしれません。

しかし「シービスケットが最後の大一番を勝った競馬場」と聞けば、一気にその歴史と格が伝わるのではないでしょうか。

サンタアニタは、大井が目指す競馬場のモデルだった?

大井競馬もまた、ダート競馬を中心とする競馬場です。

そして1990年代の大井競馬は、現在につながる大きな改革を次々と進めていた時代でもありました。

1995年には中央競馬との指定交流競走が始まり、帝王賞、東京盃、東京大賞典にJRA所属馬が出走できるようになります。同じ年には南関東地区のグレード制も導入されました。

そしてサンタアニタとの正式提携翌年となる1996年4月。

TCKの公式年表には、非常に興味深い記述があります。

「重賞体系をアメリカ型に一新」

と記されているのです。

では、「アメリカ型」とは何だったのでしょうか。

残念ながら、現在公開されているTCKの資料では、1996年に行われた変更内容がすべて詳細に説明されているわけではありません。

そのため「サンタアニタのレース体系をそのまま大井へ持ち込んだ」とまでは言えません。

ただ、当時のアメリカ競馬では、馬の年齢や距離適性などによってそれぞれ目標となる大競走が設定され、そこへ向かう路線を形成していく考え方が発達していました。

大井でもこの時期、従来の重賞を単独のイベントとして並べるだけではなく、年齢やカテゴリー、距離などを意識しながら重賞競走全体を一つの体系として整えていく方向へ改革が進められたと考えられます。

また、アメリカのダート競馬では、約2000メートルにあたる1マイル4分の1前後が、古くから最強馬を決める「チャンピオンディスタンス」として重要視されてきました。

ケンタッキーダービーやブリーダーズカップクラシックといった最高峰のレースも、この約2000メートルで行われています。

大井競馬でも、その後2000メートルという距離がダート競馬の中心的な舞台として強く意識されるようになります。

現在の大井2000メートルには、3歳馬が頂点を争う東京ダービー、古馬の春の大一番である帝王賞、そして年末に行われる東京大賞典と、日本のダート競馬を代表する大レースが揃っています。

もちろん、現在の重賞体系が1996年の「アメリカ型」への改革だけで一度に完成したわけではありません。東京大賞典が現在の2000メートルになったのも1998年です。

しかし、世界的なダート競馬場であるサンタアニタとの交流を始めた時期と、大井が重賞体系を「アメリカ型」に改革していった時期が重なっていることは非常に興味深いところです。

サンタアニタは単なる友好交流の相手ではなく、当時の大井競馬にとって「世界トップクラスのダート競馬場とはどういうものなのか」を学ぶ相手でもあったのでしょう。

レースだけではなく「競馬場そのもの」も参考にした

サンタアニタから学んだのは、競走体系だけではありませんでした。

その後の交流では、競馬場経営やファンサービス、プロモーションなどについても情報交換が行われています。

大井競馬場にある競馬観戦型レストラン「ダイアモンドターン」も、サンタアニタの競馬観戦レストランを参考にした施設の一つとされています。

つまり大井競馬場は、アメリカの競馬から「強い馬を走らせる方法」だけを学ぼうとしたわけではありません。

競馬場を一日楽しめる場所にすること。

レースをどのように見せるのか。

ファンにどのような体験を提供するのか。

そうした競馬場そのもののあり方まで、サンタアニタから学ぼうとしていたのです。

お互いの名前を付けたレースが31年間続いている

現在も両競馬場では、お互いの名前を冠したレースが開催されています。

大井競馬場では「サンタアニタトロフィー」。

サンタアニタパーク競馬場では「TOKYO CITY CUP」です。

現在のサンタアニタトロフィーは、かつて「関東盃」という名称で行われていましたが、友好提携を機に現在の名称へ変更されました。

一方、サンタアニタでは1996年から「TOKYO CITY CUP」が行われています。

単に記念イベントを開催するだけではなく、太平洋を挟んだ双方の競馬場で、相手の名前を冠したレースを30年以上続けているわけです。

31年前の交流が、今ではアメリカ遠征への道にも

そして近年、この関係はさらに大きな意味を持つようになっています。

2019年からは、アメリカのサンタアニタダービーにTCK所属馬の出走枠が最大2頭設けられました。

2023年には大井所属のマンダリンヒーローがサンタアニタダービーで2着に入り、その後、日本の地方競馬所属馬として初めてケンタッキーダービーへ出走しました。

31年前、大井競馬場側から「交流してください」と申し入れて始まった関係。

その相手は、あのシービスケットが歴史的な復活勝利を飾ったアメリカの名門競馬場でした。

大井はそこから競馬場運営やファンサービスを学び、提携直後には重賞体系まで「アメリカ型」に改革。

そして現在では、大井所属馬がサンタアニタを経由してケンタッキーダービーを目指す時代になりました。

現在開催されている「サンタアニタウィーク」。

アメリカングルメやイベントを楽しむだけでも十分に面白い開催ですが、その背景を31年前まで遡ると、これは単なる友好イベントではありません。

大井競馬場が「世界のダート競馬場」を目指した時代から続く交流の歴史が、現在まで形を変えながら受け継がれているのです。

2026年7月21日
ウマラボ編集部

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元記事:Xで公開した記事

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