アメリカ中西部、カンザス州の小さな町ユーレカ。人口数千人のこの町で、長い間、競走馬の蹄音が途絶えていた。
競馬場の名は「ユーレカダウンズ(Eureka Downs)」。
1872年に起源を持ち、150年以上の歴史を重ねてきた地方競馬場だ。かつてはサラブレッドやクォーターホースが走り、町の人々が集まる娯楽と交流の場だった。しかし、資金難によって2010年を最後に公式競馬の開催が途絶えた。
それから約16年。
2026年10月17日、ユーレカダウンズに再び競走馬が戻ってくる。
復活を支えたのは、巨額の資本を持つ競馬企業ではない。競馬場を所有する地元のフェア協会、長年再開を願ってきた馬主や調教師、ボランティア、そしてカンザス州の制度改革だった。
なぜ、この小さな競馬場は姿を消したのか。そして、なぜ今、復活できることになったのか。
その背景には、アメリカの地方競馬が抱える厳しい現実と、地域の人々が競馬に寄せる思いがある。
■ チャーチルダウンズより古い競馬の歴史
ユーレカで競馬が始まったのは1872年。現在の競馬場とは別の場所に走路が設けられたことが始まりだった。
1902年にグリーンウッド郡のフェア会場へ移転し、翌1903年から現在地で競馬が行われるようになった。
ケンタッキーダービーの舞台として知られるチャーチルダウンズの開場は1875年。ユーレカにおける競馬の歴史は、それよりも古い。
地元では、ユーレカダウンズはミシシッピ川以西に現存する最古の競馬場として紹介されている。
当初はサラブレッド競走や繋駕速歩競走が行われ、1962年にはクォーターホース競走に対応するため、440ヤードの直線走路が整備された。
1964年には観客席が火災で焼失したが、建て直され、競馬場は存続した。
こうした歴史を支えてきたのは、地域の人々だった。
競馬場を所有するグリーンウッド郡フェア協会は、民間企業ではなく、地元の催しを運営する団体。入場料や飲食販売、厩舎利用料などを財源とし、多くの作業をボランティアが担ってきた。
大都市の競馬場とは異なる、地域に根ざした競馬の姿がここにあった。
■ なぜ競馬は途絶えたのか
ユーレカダウンズが直面した最大の問題は、開催を維持するための資金だった。
カンザス州では1980年代後半からパリミュチュエル方式の馬券発売が制度化され、競馬産業の発展が期待された。
しかし、競馬場同士の競争や経営環境の変化によって、州内の競馬産業は次第に苦しくなっていく。
カンザス州の競馬・ゲーミング委員会によると、ウィチタ・グレイハウンドパークは2007年、カンザスシティーのウッドランズ競馬場は2008年に営業を終了した。
こうした施設の閉鎖は、地方競馬を支える財源にも影響した。
ユーレカダウンズでは開催資金の確保が難しくなり、2010年を最後に公式競馬が途絶えた。
競馬場がなくなったわけではない。
走路も観客席も、町には残された。
しかし、そこに競走馬が集まり、馬券が発売され、観客が歓声を上げる日々は戻らなかった。
■ 競馬のない16年間も、施設は町とともにあった
競馬が開催されなくなった後、ユーレカダウンズは完全に忘れ去られたわけではなかった。
地元の馬関係者は将来の再開を願って走路の維持に取り組み、施設はロデオや地域行事にも利用されてきた。
2023年にはユーレカ市、グリーンウッド郡、郡フェア協会、4-H財団の4団体が関わる地域施設運営の枠組みが設けられ、競馬場の建物を多目的なコミュニティー施設として整備する計画が進んだ。
4-Hは、アメリカで広く活動する青少年育成組織。農業や畜産を含むさまざまな体験活動を通じて、子どもたちの成長を支えている。
地元の高校の木工授業では、施設内の事務室や教室の整備にも協力した。
つまり、競馬場の建物は、競馬が行われていない間も町の活動を支える場所であり続けたのである。
ところが、施設そのものは老朽化していた。
厩舎や建物は竜巻による被害も受け、走路には草が生い茂った。排水の問題もあり、かつての競馬場をそのまま使える状態ではなかった。
復活には、単なる清掃ではなく、本格的な再建工事が必要だった。
■ 走路だけで220万ドル――競走馬の安全を守るための大工事
復活プロジェクトの中心人物の一人が、ゼネラルマネジャーのマイケル・ワイス氏だ。
地元紙『The Eureka Herald』の取材によると、ワイス氏は走路、厩舎、騎手施設、映像設備など、ほぼすべてを見直す必要があったと説明している。
走路の再建だけで約220万ドル。
表面の砂を入れ替えるだけでなく、下層から作り直し、排水の問題を解消する工事が進められた。
カーブには適切な傾斜を設け、古い金属製の柵に代わって、衝撃吸収性を考慮した新しい安全柵を導入。大型映像装置や事務室も整備された。
これは見栄えを良くするためだけの工事ではない。
16年前と現在では、競走馬の安全性に対する考え方も、施設に求められる基準も変わっている。
ワイス氏は、単に競馬を再開するのではなく、現代の安全基準に対応した競馬場を作ることを重視している。
一方で、地元のボランティアは建物の清掃や修繕を支えた。
開幕直前には、地元のアーティストがウイナーズサークルや正面入口に絵を描き、競馬場を訪れる人々を迎える準備を進めている。
競馬場の再建は、専門業者による工事と地域住民の手作業の両方で成り立っている。
■ 復活を可能にした「過去の競走を使う馬券」
今回の復活を理解するうえで欠かせないのが、カンザス州の競馬関連制度の変更だ。
その鍵を握るのが「ヒストリカル・ホースレーシング(HHR)」と呼ばれる仕組みである。
HHRは、過去に実際に行われた競馬の結果を利用して賭けを行う方式。専用端末で提供され、通常のライブ競馬とは異なる形で運営される。
カンザス州では、このHHR事業から生まれる収入の一部を、競馬開催や州内の馬産業の振興へ振り向ける制度が整備された。
州議会の法改正によって、競馬開催団体への支援や、州内生産馬への奨励金などに資金を配分する道が開かれた。
支援に関わる施設の一つが、パークシティーにあるギリーズ・ギャンブリングホールだ。
同施設はHHRの収入が、ユーレカダウンズでの競馬開催や、カンザス州産馬の育成・生産を支える財源になると説明している。
ここに、今回の復活の大きな特徴がある。
入場料と馬券売上だけで小規模な競馬場を維持するのは難しい。
そこで、競馬に関連する別の収益源を確保し、実際の競馬開催を支える仕組みが作られたのである。
競馬を再開するために、まず開催を継続できる財源を整えた。
それが16年ぶりの復活を可能にした重要な要因だった。
■ 5種類の馬が同じ競馬場に集まる
ユーレカダウンズの再開初年度は、10月17日から11月1日までの週末6日間に開催される。
注目したいのは、出走する馬の種類だ。
サラブレッドだけではない。
クォーターホース、ペイントホース、アパルーサ、アラブも登場する。
クォーターホースは短距離の加速力に優れ、アメリカで盛んな短距離競走に使われる品種。ペイントホースやアパルーサは、特徴的な毛色や斑紋でも知られている。
アラブは耐久力の高さなどで知られ、世界各地で競走が行われている。
同じ競馬場で異なる品種のレースを楽しめることは、日本の中央競馬や地方競馬とは大きく異なる魅力だ。
開幕を前に、オクラホマ、アイオワ、ミネソタ、コロラド、ニューメキシコなど、複数の州から競走馬が到着している。
競馬場には140馬房が用意され、うち104馬房は開催に合わせて遠征してくる馬のために確保されている。
地元の競馬場でありながら、周辺各州の馬関係者が集まる広域的な開催でもある。
■ 入場料はわずか5ドル 家族で楽しむ競馬場へ
再開初年度の一般入場料は5ドル。駐車場は無料となっている。
レースは各開催日とも現地時間12時30分に開始予定で、1日8〜10競走が計画されている。
観客はパドックで競走馬を間近に見たり、騎手が騎乗する様子を見たり、大型LED画面でレースを楽しんだりできる。
馬券では、20セントから参加できる6競走連続的中式の「フォーチュン6」も導入される予定だ。
10月24日には賞金保証額5万ドルのペイント・バイ・ナンバーズステークス、31日には7万5000ドルのポール&ヴァージニア・トレッドウェルステークスが予定されている。
開幕日はテープカットなどの記念行事も行われる。
目指しているのは、競馬の愛好家だけが集まる場所ではない。
家族連れや地域住民が気軽に訪れ、一日を楽しめる競馬場だ。
競馬場の復活によって、地元の飲食店や宿泊施設などへの経済効果も期待されている。
■ 最初は12日間の予定だった 復活後も残る課題
もっとも、再開に向けた道のりは決して順調なことばかりではなかった。
地元紙『The Eureka Herald』によると、当初は2026年秋に12日間の開催が計画されていた。
しかし、州の競馬・ゲーミング委員会の運営経費などに追加の資金が必要となり、予算を組み直した結果、初年度は6日間に縮小された。
競馬場が再開できることと、安定して開催を続けられることは、同じではない。
競走馬の確保、賞金、競馬場の維持費、開催運営費など、今後も解決すべき課題は残る。
関係者の間では、2027年に開催日数を増やし、2028年にはさらに規模を拡大する構想も語られている。
ただし、それは現時点で確定した開催日程ではなく、今後の目標だ。
復活の第一歩となる6日間を成功させ、継続的な開催につなげられるか。
ユーレカダウンズにとって、本当の挑戦はここから始まる。
■ 16年間、競馬場を残し続けた人々
ユーレカダウンズの復活で最も印象的なのは、競馬がなくなった後も、町の人々が施設との関わりを失わなかったことだ。
ロデオを開催し、地域行事に利用し、子どもたちの活動の場として建物を整え、再開の日を待ち続けた。
その間に、競馬場は傷み、設備は古くなり、再建には大きな費用が必要となった。
それでも、競馬場を取り壊して別の施設にするのではなく、もう一度馬を走らせる道が選ばれた。
150年以上前に始まった町の競馬文化を、次の世代へつなぐためだ。
2026年10月17日。
新しく整備された走路を、再び競走馬が駆け抜ける。
6日間という短い開催ではあるが、ユーレカの人々にとって、その最初の一歩には16年分の意味がある。
アメリカの小さな町で始まる競馬の復活。
その物語は、競馬が単なる賭けやスポーツにとどまらず、地域の歴史と人々の暮らしに深く根づいていることを伝えている。
26.10.16 うまラボ編集部

