見渡す限り、何もない荒野。
その中に競馬場のラチだけが延び、色鮮やかな勝負服をまとったサラブレッドたちが、猛烈な砂煙を巻き上げながら駆け抜けていく。
巨大なスタンドもなければ、周囲を埋め尽くす建物もない。
あるのは赤茶けた大地と、どこまでも広がる空。そして、その大自然の中を走る競走馬たちだ。
まるで映画のワンシーンのようだが、これは2026年9月5日にオーストラリアで実際に行われた競馬である。
レースの名は「バードスヴィルC」。
今年は25歳の見習騎手サマンサ・ポイントンがラエティヒに騎乗して優勝した。
しかし、このニュースで本当に驚かされるのは勝った馬や騎手だけではない。
そもそも、なぜこんな砂漠のど真ん中で競馬をやっているのだろうか。
■人口約100人、砂漠の中にある小さな町
バードスヴィルは、オーストラリア・クイーンズランド州の内陸部、アウトバックと呼ばれる広大な地域にある小さな町だ。
普段の人口は約100人。
ところが年に一度、バードスヴィル・レーシズが開催されると、この小さな町の風景が一変する。
オーストラリア各地から数千人もの人々が集まってくるのだ。
過去には約7000人を集めた年もあり、主催者は現在も6000人を超える規模のイベントとして紹介している。
人口約100人の砂漠の町が、わずか数日間だけ巨大な競馬の町へと変貌する。
そのためバードスヴィル・レーシズは「Melbourne Cup of the Outback(アウトバックのメルボルンC)」とも呼ばれている。
■何もない荒野を、砂煙を上げて馬が走る
バードスヴィルの競馬を象徴するもの。
それは何といっても、その光景だ。
何もない荒野の中に競馬場があり、サラブレッドたちが赤土の上を砂煙を巻き上げながら走る。
現在のコースは1周2000m。クイーンズランド州では珍しい左回りで、メインレースのバードスヴィルCは1600mで行われる。
ゴール前ではもちろん多くの観客が待ち構えている。
しかし少し視線を遠くへ向ければ、その向こうに広がっているのはオーストラリアの大自然だ。
日本で普段見ている競馬場とは、あまりにも景色が違う。
競走馬が砂煙の向こうから姿を現し、荒野を駆け抜けていく。
「砂漠の競馬」という言葉が、これほど似合う競馬もなかなかない。
■観客だけではない 競走馬も砂漠を目指す
大変なのは観客だけではない。
レースを行う以上、当然ながら競走馬もバードスヴィルまで連れてこなければならない。
このためバードスヴィル・レーシズでは、競馬場に到着するまでの道のりそのものが一つの物語になる。
2025年には、遠く離れたタスマニアから史上初めて競走馬が参戦した。
フェリーで海を渡り、その後も何日にも及ぶ陸路を経て、ようやく砂漠の競馬場へたどり着いた。
2026年には主催側も遠征を支えるため、競走馬や騎手への移動費補助を増額。総賞金も過去最高となる35万豪ドルまで引き上げられた。
それでも今年は各地から馬が集まり、バードスヴィルCを頂点とする2日間13レースの競馬が行われた。
ここでは、出走すること自体が大遠征なのである。
■始まりは1882年 ストックマンたちが始めた競馬
では、なぜこんな場所で競馬が始まったのだろう。
歴史は1882年まで遡る。
南オーストラリア州とクイーンズランド州の州境付近に、馬主や牧場管理者、ストックマンなど約150人が集まり、最初の競馬が行われた。
現在のような立派な周回コースではない。
当時のコースは、約200m間隔で杭を立てて示した簡素なものだった。
スターティングゲートもなく、旗などを合図に馬たちが走り出す。
そこから競馬組織が作られ、翌1883年にも開催されることが決まり、アウトバックの競馬は少しずつ歴史を積み重ねていった。
現在の場所へ競馬場が移されたのは1930年代。
1960年代には内ラチなども整備され、現在につながる競馬場へと発展していった。
2026年で、その歴史は144年を迎えている。
■実は「医療のため」に始まった競馬だった
さらに意外なのが、バードスヴィル・レーシズが始まった理由だ。
単に人々が競馬を楽しむためだけではなかった。
1882年に競馬が始まった大きな目的の一つが、この地域に医療サービスを届けるための資金集めだった。
広大なオーストラリアのアウトバックでは、町と町の間に途方もない距離がある。
現在のような交通手段もなかった時代、僻地で暮らす人々にとって医療を確保することは極めて大きな問題だった。
そこで人々が集まる競馬が、地域を支えるための役割も担ったのである。
その精神は現在にも受け継がれている。
現在バードスヴィル・レースクラブが支援しているのが、ロイヤル・フライング・ドクター・サービス(RFDS)。
広大なオーストラリアの僻地へ航空機で医療を届けることで知られる組織だ。
2026年の開催でもRFDSファンランなどの関連イベントが行われた。
砂漠の競馬と僻地医療。
一見まったく違う二つの存在が、実は140年以上前から一本の線でつながっている。
■年に一度、砂漠へ向かう「競馬の巡礼」
バードスヴィル・レーシズが現在まで続いてきた理由は、競馬だけでは説明できない。
数千人の観客が車やバス、飛行機などさまざまな方法でバードスヴィルを目指す。
何日もかけてアウトバックを旅する人もいる。
そして到着すれば、競馬だけでなく音楽やファッションイベントなどが開催され、普段は静かな町全体が巨大な祭りへと変わる。
途中の町では宿泊し、食事をし、車に燃料を入れる。
そのためバードスヴィルへ向かう人々の移動そのものが、アウトバック各地の小さな町にも人とお金を運んでいる。
単なる2日間の競馬ではない。
人々が砂漠を旅し、その先にある競馬場を目指す。
それ自体がバードスヴィル・レーシズなのである。
■そして2026年、25歳の見習騎手が歴史に名を刻んだ
そんな144年の歴史を持つバードスヴィルCを今年制したのが、25歳の見習騎手サマンサ・ポイントンだった。
騎手としてまだ3シーズン目。
しかしポイントンは、クイーンズランド州各地の競馬場へ積極的に足を運び、前シーズンには40勝を挙げていた。
そして今年、ラエティヒとのコンビでバードスヴィルCへ出走。
レースでは先頭に立つと、そのまま押し切って2馬身以上の差をつけて優勝した。
2003年に女性騎手として初めてこのレースを制したレベッカ・カーウィンをはじめ、これまでにも複数の女性騎手がバードスヴィルCの歴史に名を刻んできた。
2026年、その中にポイントンの名前も加わった。
■何もない砂漠に、今年も競馬場が現れた
1882年、アウトバックに暮らす人々が集まって始めた小さな競馬。
それから144年。
普段は約100人が暮らす砂漠の町に、今では数千人が集まる。
競走馬は遠い町から運ばれ、人々は何日もかけて砂漠を越えてくる。
そして何もない荒野の中で、今年もサラブレッドが砂煙を上げて走った。
豪華なスタンドがなくてもいい。
大都市になくてもいい。
競馬を見たい人と、競馬を続けようとする人がいれば、砂漠の真ん中にだって140年以上続く競馬文化は生まれる。
「アウトバックのメルボルンC」。
その名前の意味は、賞金額やレースの格だけでは分からない。
年に一度、オーストラリアの広大な砂漠に人と馬が集まり、赤土を舞い上げる。
バードスヴィルCは、世界でもここでしか見ることのできない「砂漠の競馬」なのである。
26.9.8 うまラボ編集部

