ブラジルで32回目を迎える伝統レース
コパ・ジャポン・デ・トゥルフェとは一体!?

ブラジルのコパ・ジャポン・デ・トゥルフェを紹介する記事タイトル画像

ブラジルに32回目の「日本杯」があった G3開催で太鼓が鳴り、鏡開きまで行われる理由

日本から約1万8000キロ離れたブラジル・サンパウロで、9月5日に「第32回コパ・ジャポン・デ・トゥルフェ」が行われる。

日本語にすれば「日本競馬杯」。単なる記念競走ではなく、芝1600メートルで争われるブラジルのG3である。

当日のシダーデ・ジャルディン競馬場には日本とブラジルの料理が並び、和太鼓や日本舞踊が披露され、鏡開きまで行われる。しかも同じ開催では、ブラジル競馬の牡馬・牝馬クラシック路線も開幕する。

なぜ地球の反対側で、これほど本格的な「日本の競馬祭」が32回も続いているのだろうか。

■「日本杯」は4歳以上牝馬のG3

コパ・ジャポン・デ・トゥルフェは、4歳以上の牝馬が出走する芝1600メートルのG3だ。

2026年は、牡馬の四冠初戦にあたるG1イピランガ大賞、牝馬四冠の初戦となるG1バラン・デ・ピラシカバ大賞などと同日に組まれた。ブラジル競馬における新シーズンの重要開催と、日本文化の祭典が一体になっている。

競馬は午後0時30分から午後6時まで行われるが、飲食や文化イベントは午後9時まで続く。入場は無料。競馬を知らない日系人や家族連れも楽しめる一日として設計されている。

会場では複数の和太鼓団体が演奏し、日本舞踊や沖縄文化をルーツに持つ演目も披露される。酒樽の蓋を木槌で開く鏡開きも予定され、競馬場全体が日系ブラジル文化の会場に変わる。

実は東京競馬場にも「ブラジルカップ」がある。ブラジルの「日本杯」と同じ1995年、日本・ブラジル修好100周年を記念して創設され、現在もリステッド競走として続いている。勝ち馬には「サンパウロジョッキークラブ賞」も贈られている。

東京競馬場では、ブラジルカップの開催日に特にブラジル関連のイベント等は行われていないようだが、ブラジルの「日本杯」は競馬だけでなく、日本文化を紹介する一日として定着している。

■背景にある世界最大の日系社会

ブラジルと日本の外交関係は1895年に始まり、1908年には移民船「笠戸丸」がサントス港へ到着した。

その後、多くの日本人がブラジルへ渡り、サンパウロ州を中心に大きな日系社会を形成した。現在のブラジルは、日本国外で最大規模の日系人社会を持つ国として知られている。

コパ・ジャポン・デ・トゥルフェが始まったのは1995年。サンパウロ・ジョッキークラブの歴史資料には、1996年の第2回大会の写真も残る。過去には日本人騎手が同競走に騎乗し、流鏑馬が披露されたこともあった。

つまり、この競走は日本の競馬界が海外普及のために新設したレースではない。ブラジルで暮らしてきた日系社会と現地競馬が、約30年をかけて育てた競走なのである。

■日本馬が走らなくても「日本競馬」になる

名称に「日本」が入っていても、出走するのは基本的にブラジルの競走馬だ。日本馬を招待して争う国際競走ではなく、日伯交流を象徴する現地の重賞である。

それでも競馬と日本文化が自然に結びつくのは、ブラジル社会の中に日本人とその子孫が長く暮らし、食文化や芸能を根づかせてきたからだ。

日本では国際交流競走というと、外国馬や外国人騎手の招待、海外統括団体の名称を冠した交換競走を想像しやすい。ブラジルの日本杯は少し違う。競馬を中心に、移民の歴史、地域社会、食、芸能までを一つの開催へまとめている。

勝ち馬を決めるだけなら、普通のG3として施行すればよい。それを32回にわたり「日本杯」として続け、太鼓を鳴らし、鏡を開き、家族を競馬場へ招く。

コパ・ジャポン・デ・トゥルフェは、競走名が友好の看板になっているのではない。競馬場そのものが、ブラジルと日本の130年以上にわたる関係を伝える場所になっているのである。

26.9.1 うまラボ編集部

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